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jibun09の日記

「今見えているものはこう」というのを書きとめておける場所として、置いておこうと思います。

「学生街」の居心地が悪い

昔、「学生街」というものにあこがれていた。

ぼくが通っていた大学はニュータウンのはずれにあって最寄駅からもバスで20分くらいかかるような場所で、いわゆる学生街というのとはほど遠かった。外食のできる店やコンビニはバスか原付でないと行けない距離にあって、近くにあったのは高校とファミリー向けのマンションと池と田んぼだった。だから歩いて行ける距離に飲み屋があって、値段の割にアホほど量の多い定食屋があって…みたいな、いわゆる「学生街」で過ごしてみたいなという願望を持っていた時期がある。

いまぼくが住んでいるのは、いわゆる「学生街」だ。

大学(ぼくが通っていたのとは違う)から歩いて数分の場所に住んでいるから、近所のスーパーに行っても交差点に行っても学生ばかりとすれ違う。いや、厳密にいうと学生かどうかは確かめてみないとわからないのだけれど、近所を歩いたり自転車をこいでいる人のほとんどが、若めの風貌なので十中八九学生だ。

昨日人と話していて気がついたのだけれど、この居心地の悪さは「自分の場所ではない感」だ。

ふつうは、たとえば電車に乗り合わせた人の属性なんてものはわからない。ぱっと見でわかるのは、若いきれいな女の人だなとか、おしゃれなスーツのおじさんだなとかいうことくらいだ。手提げカバンからはみ出していた教科書がたまたま目に入ったり、スーツ同士の会話が聞こえてきて、ああ学生かとかこの人たちは上司と部下かということがわかる。その場所にいる人がどこの誰で、ということが分かりようもないから自分も「不特定多数の人」としていることができる。

この街ではそうはいかなくて、すれ違う人みんなが大学生で、しかも立地的にはどこの大学の人かも明らかにわかる。歩いているだけで周りの人の属性が飛び込んでくるから、否が応でも自分が「大学生でない人」という場所にいることが意識させられて、「不特定多数の中にいる」という感じが持てない。なので少し歩いて駅前に行くと、観光目的に見える外国人とかスーツ姿のおじさんとかがいて、なんだか安心する。

よく考えると大学生の頃は近所に居酒屋が遠かろうが定食屋がなかろうが、原付で移動して友達の家で飲んでいたし、あんまり関係なかった。世間的には郊外のニュータウンでしかないのだけれど、ぼくにとってはあそこが学生街だったのだなと思う。