ソワレ、ウイスキーコーヒー、遭難フリーター
京都の喫茶店ソワレに来ている。次の休みは部屋探しでもしよう、とか思っていたのに結局掃除して洗濯してネットみてオムライスつくって昼寝してたらもう3時だった。なんか外に出たくてここに来た。
ウイスキーコーヒーというらしい。
写真が暗くて荒い。
というか店内が暗い。
カップの奥のガラスの容器にウイスキーが入っていて、ぽたぽたとコーヒーに垂らして飲む。メニューにあって何だろうと思って聞いたら「コーヒーにウイスキーをかけて香りを楽しむもの」らしい。適度にぼーっとしてきて、夕方のこのどうしようもない時間にちょうどいい。
初公開はだいたい10年前で、当時のニュース映像がたびたび挿入されるけど今よりも世間的には非正規労働者の「存在そのもの」が問題にされてる感が強かった。劇中に出てくるおじさまが監督に向かって「そんなんじゃ企業の奴隷だ」「この先どうするんだ」って檄を飛ばすシーンは観ててきつかった。少し状況は違うけど自分もリタイア後のおじさまから似たようなことを言われたことがあったのを思い出した。
監督を取材しにきたNHKの記者も印象的だった。「勝ち組」として描かれる彼は「なんでこの仕事してるんだろうってしょっちゅう思う」「9時5時で帰れる仕事に就いたほうがよかったのかな」と言い、監督に劇中のナレーションで突っ込まれる。「勝ち組じゃなかったのかよ」「俺は誰に負けた?」
こういう記事を読んだ。
社会的な地位みたいなものは、自分が触れてる情報とか一緒に過ごしてる人によって感じ方は変わってくるものだろうなと思う。普段生活してる分にはなんとも思わなくても、Facebookばかり見てると精神的に不安定になったりするのはそれが理由だと思う。本文中にもあるように、同じような価値観の人とだけ付き合っていたらあまり気にならないのかもしれない。でも厄介なのは「同じような価値観」の人が集っていたとしても結局、その中での序列みたいなものはどうしても生まれてきてしまって、嫌でも自分の地位みたいなものがちらついてしまう。
映画のラストシーン、夜通し東京の街を南に向かって歩いた監督は、行き着いた海岸でつぶやく。「とりあえず南に行こうと思って歩き出したら海に着いた」「着いたらからといって何があるわけでもないけど、とりあえず来れてよかった」「帰ります」
この「来れてよかった」という感じがどうして生まれたのかは、きっと監督にしかわからない。誰でも夜の東京を夜通し歩いたら何か掴めるかというとそうではない。でもこの「よかった」みたいな感覚自体は分かる気がする。結局「南に行こうと思った」「雨が降っているので歩き続けるしかない」みたいな、周りから見たら理解しにくかったり理由の説明しにくいようなことでしか、確かな実感みたいなものは得られないのだと思う。
こういうことは前の仕事を辞めた時に散々考えて結論が出たような気になっていたけど、環境が変われば簡単に揺らいでしまうなとつくづく思う。前は映画や音楽や漫画がなくても全然大丈夫な時期だったけど最近そうでもなくてコンテンツ消費欲が高いのもそういう変化かもしれない。