jibun09の日記

長々とした日記を書いています

小説と生活

今日からまた休みだ。

高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』を読んだ。最近何か書きたいという感じがあって、というよりも浮かんだり消えたりしていて、浮かんでいるときにはすごく確かなものとして感じられるけれど消えているときはほんとうに跡形もない。

「自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」

この一文にぐっときてしまって、この本に紹介されている本をまた読みたくなって図書館に行った。バクシーシ山下『セックス障害者たち』、石川啄木『ローマ字日記』、坂口安吾堕落論』、神蔵美子『たまもの』を借りてきて、『たまもの』を読んでいる。

ぐーっと集中して本を読んでいるときは、その本の文体が体に入ってきて、ページから目を離して自分の中に浮かぶ独り言がその本の文体になっていたりする。星野源のエッセイを読んでいるときは星野源のように、神蔵美子の感じはこうして書いているうちに薄れてしまっているけれど、読んだ直後はやっぱりその文体になっている。

ネットで注文していた箒が届いた。仕事帰りに受け取れるように帰り道の途中のコンビニを受け取り場所に指定して、けれど昨日はまだ届いていなくてさっき行ったらなぜかエラーになってヤマトに問い合わせた。結果的にコンビニ側の手違いだったことがわかったけれど、問い合わせ中微妙に自宅から離れたコンビニを指定してしまったがために変な空き時間ができてしまい、周辺をうろついていた。鴨川沿いの街並みがどうなっているかを見るのが楽しいので歩いていると、前の仕事で関わりのあった団体のオフィスが移転しているのを見つけて、ああここに移ったのかと思う。せっかく今住んでいるエリア近くには知り合いがない、と思っていたらきっとあの人もあの人も出入りしているんだろうなと、知ってはいるけれどめったに思い出さない人の顔を思い出す。それは嫌な感じではないのだけれど、喜んでそこを訪問しようとか、ひょっとしたら会えるのかもなという期待とは違っている。

そうしているうちになんとか箒を受け取れて、実家から送ってもらった扇風機も届いて、少し生活環境が整った感がある。箒だったり扇風機だったりは生活空間を過度に豊かにするというよりも最低限の部分で便利にするために必要なものだったというのが、届いて使ってみるととてもよくわかる。「インテリアに凝る」みたいな欲が働き出すとそういうのとはまた違う感じの方向に行くので、それも悪くないのだけれどまた別のものだということがよくわかる。

日が暮れてから、部屋で本を読むための灯りが必要だ。今のままだと少し暗くて、読もうという気があと一寸のところで阻まれる感じがある。電球一個つくだけで、この「一寸」はなくなるだろうと思うから、これは用意しようと思う。

あとはこれまで常温でバターケースに入れていたバターに黴が生えてしまっていることに昨日気がついて、これからは冷蔵庫に入れることにした。常温でもこれまで問題なかったし、知り合いが「常温で一年いけた」と言っていたのだけれどたぶん保管場所が悪かったのだと思う。

ゴミ箱を持ってしまうと移動する時かさばるのでなるべく置きたくなくて、酒屋でビールケースをもらってきてそこに袋をかけることにした。玄関周りが少しすっきりして良い感じだ。「移動する時」というのは次の引越しをイメージした時のことで、今の場所からすぐに引っ越すつもりはないのだけれど、今回の引越しで軽自動車満杯に荷物を積むことになってしまったので、できるだけかさが増えないようにしたいなとは思っている。

この休みの期間中、とりあえず決まっているのは明後日大学時代の友人と会うことくらいだ。10月に一緒にライブに行くことになって、この日は僕の持っているブルーレイディスクを貸すことになっている。

『たまもの』を読みながら、こうして本に篭っていたい、と思う。本の中に入り込んで、その文体に浸って、自分の中に言葉が出てくることを楽しめるような気がしている。生活環境がガラッと変わって、物を揃えたりしているとこういう感じに気がつくまでに時間がかかるのだな、ということがよくわかる。こういう感じになるくらいには、生活環境を整えないと始まらないのだなとも思う。