jibun09の日記

長々とした日記を書いています

映画『ラ・ラ・ランド』を観てきた。

ネット上では賛否両論いろいろあるようで、ジャズ好きとかミュージカル好きからするとあり得ない設定とか演出があるようだけれど、僕はそのあたり詳しくないのでよく分からない。個人的な感想としては、観てよかった。

オープニングの大渋滞から大勢の人が踊りだすシーンは見ていてなぜかちょっと涙が出たのだけれど、ミアが彼氏との食事を抜け出してセバスチャンに会いにいくシーンがとてもよかった。僕はミュージカルがどちらかというと苦手で、さっきまで普通に会話していた登場人物が急に踊ったり歌ったりするのについていけなくなってしまう。けれどこのシーンは「ミアには本当にそういう風に聞こえている」という感じがする。

レストランでミアと彼氏とその兄(だったか)が食事している最中、画面は彼氏や彼氏の兄の手元にぐっと寄るカメラワークになる。これは距離感からすると恐らくミアの食事中の目線で、セバスチャンとの約束が気になってどこか会話に集中できないミアを想像させる(会話している兄と目線が合わず「上の空」という感じがする)。そのあとセバスチャンが弾いていた曲(だったか)が流れ始め、カメラは店のスピーカーを捉える。ミアはスピーカーに釘付けになったかと思うと席を立ち、意気揚々と通りを歩いてセバスチャンの待つ映画館へ向かう。

「曲は、実際にレストランのスピーカーから流れていたのか」は分からない。その後もミアが通りを歩くシーンでもその曲は流れ続けている。だから僕たちはその曲を、ミアのわくわくした心境を表現するために、映画の作り手が劇中のBGMとして挿入したものと理解することもできる。けれどそもそも「ミアには実際に曲が聞こえていたのか」もわからない。ミアは確かにスピーカーに目線を遣ったように見えるけれど、ミアにはある意味で幻聴にも近いものとして曲が聞こえていて、居ても立ってもいられなくなったという風にも見える。

もし、この「曲がスピーカーから流れ、それをミアが聞いたように見える演出」がなければ、僕たち観客にしか(劇中のBGMとして)聞こえていないはずの曲に合わせてミアが急に踊り歌い出したという風に見えて、僕はそこにズレを感じてしまうだろうと思う。画面の向こうにいたはずの相手が急にこっちに飛び出してきてくるから、おお、そっちにいたんちゃうんかい。急にびっくりするやんか!と言いたくなる。

だから曲が一度レストランのスピーカーを経由することで、その曲が、僕たち観客が映画館で聞いているBGM、劇中のレストランのスピーカーから流れている曲、ミアの中で(幻聴のように)聞こえているもの、その「いずれか」ではなく「全部」であると感じられる。ミアの高ぶった気持ち、スピーカーから流れる曲、BGM、それらの境目が曖昧になって、劇中のミアと観客との気持ちのズレがなだらかになるように思える。

僕たちの日常の中では、急に大通りで踊りだしたり1曲まるまる歌い切ったり、それに周りの人が急に加わったりすることはほとんどない(だから、フラッシュモブみたいなものがサプライズとして成立するのだと思う)。ミュージカル映画でこういうシーンだけを見ると「いやいや、なんでなん」と突っ込みたくなるのだけれど、日々の生活の中でちょっと歌を口ずさみたくなったり、嬉しくて足取りが軽やかになることならある。そういう時は「幻聴」に近いのかもしれないけれど頭の中に何か音楽が流れているといえるのだろうし、ダンスを踊っているのだともいえる。そういうちょっとした気持ちの動きみたいなものを、ミュージカルは増幅して見せてくれるものなのかもしれない。

ここに書いたようなことは、この映画独自のことなのか、ミュージカルでは当たり前のことなのかは分からない。けれど少なくともミュージカルを見てなんとなく気恥ずかしさみたいなものを感じてしまうことの多かった僕からすると、とても新鮮な体験でした。