jibun09の日記

長々とした日記を書いています

2月3日 からふね屋

近所のからふね屋に来てパフェを食べている。朝Twitterか何かでパフェの写真を見て完全に感化されてしまった。今日は節分で、近くの神社で催しがやっていてそのせいか店内に入るまでに少し並んだ。けれど店員に呼ばれて二階に上がってみると席はがらがらで、水のグラスやナプキンが散らかったテーブルがいくつも放置されていて、単に店員の手が回っていないのだとわかる。

注文して20分くらい待っただろうか、ドタドタと音をさせながら歩く長髪の男性店員がパフェを運んできた。「コーヒーすぐにお持ちします」と言ったきり、ガラガラの禁煙席の片付けに向かったりしていて効率が悪いなと思う。飲食店のサービスに過剰な期待をかけたりはしないほうだけれど、もうちょっと効率よく動いてほしいなと思いながらコーヒーを待つ。

しばらく本を読みながらパフェを食べる。けれど半分くらい食べたところで気分が悪くなってきた。半分の量くらいがちょうどいいのかもしれない。なんだか残すのもな、と思いながらちびちびと生クリームを口に運んでいる。

昨日、親しい友人が開催する催しへの参加をキャンセルしてきた。彼は僕にとってとても大事な人で、一時期メンタルが落ち込みかけていたところを元気に乗り越えられたのは彼のおかげだといっていいと思う。直接会って話をして、キャンセルします、やっぱり参加します、みたいに自分の主張が二転三転して、結局帰りにキャンセルすることに決めてメッセージを送った。彼からまだ返信はない。

ころころと自分の主張を変えてしまったことへの後ろめたさや、彼の中で僕の信用はがた落ちではないかとか、そういうことを考えて気分が落ち込んで、部屋の中を散らかしたまま昨日は寝てしまった。今日起きてからも気分が落ちきっていて、スマホで鬱のセルフチェックをして「軽度の鬱が疑われる」みたいな結果を見ながらだらだらしていた。

別に彼の催しに参加するから僕は彼の友人だということではないだろう。それは頭ではわかっているつもりなのだけれど、その辺りが未分化で、だから少し距離を取ろうとしているのかもしれない。彼のやろうとしていることは一種の表現活動で、それはもう真摯に彼はそれに取り組んでいる。僕もそうした活動をするのは面白いと思っていたのだけれど、だんだんそれ自体が面白いのか、彼と何かできるのが面白いのか、わからなくなってきた。だんだん、彼に気に入られるためにやっているのではないか、みたいな気持ちがわいてきて、居心地が悪くなってしまった。

なにかを表現するということは楽しい。それは自分にとって今後もそうだろうと思う。自分の中で仕事の位置付けが前と変化していて、以前よりももうちょっと仕事がんばろうかなとか、組織の中で役割をきっちり果たすみたいなことをもう少しやってみたくなってきている。別に出世しようとかのし上がろうとか、でかい仕事がしたいとかそういうわけではないのだけど、前ほど仕事に絶望していない。ある程度、自分に安心感やアイデンティティや、自己実現の機会を与えてくれるものだという認識に変わってきている。

だから、催しに参加する別の友人が「自分には表現活動しかない」みたいなことを言うのを聞いていて、ああ自分は特段そういうわけではないなと感じてしまった。「本気で表現活動をしていきたい人」かどうかの判定をされているような気分になってしまったのだと思う。僕は、自分の生活の中に、他人とうまく調和を取りながら仕事を遂行したり、あるいは人と話す中で自分が広がっていくような、物事の精緻さや解像度が上がっていくような体験をしたり、感じたことを書き留めて誰かに見てもらったり、そういうことを今後もしていきたいのだと思う。

まずは自分の生活を、しっかりやりたいなと思う。