jibun09の日記

長々とした日記を書いています

11月10日

特定の1人の人間と親しくなって、ずっと一緒に暮らすって一体どういうことなんだろうか。

僕はどこかで人を冷めた目で見ているところがある。外向きはわりと人当たりのいいほうかも知れないけれど、たとえば外で昔の同級生とか同僚とかの知り合いに会ってもよほどの関係性でない限り自分から声はかけない。

1人でいて寂しいと感じることもあるし人と話したいなと思うことはあるけれど、どんどん人と関わっていく知り合いを見ていてそこまでナチュラルに人との交流を喜べないよなという感覚がある。

そりゃあとある人を素敵だなと思ったりもっと話したいと思ったりする瞬間はもちろんあるけれど、それがずっと続くかどうかは分からない。結婚とかはそれを「ずっと続くんです」と言い切る契約で儀式のような気がする、という感覚がどうしてもある。

そういう感覚を越えてまで一緒にいようと思えるような相手ではないのかもしれないし、ひょっとしたら僕はそういう感覚を持つことはできないのかもしれない。

いや、世間の人は案外そんな感覚を持っているわけでもなくて、いろんな事情とかタイミングが重なって結婚して、いろんな事情やタイミングが重なってとりあえず続けているだけなのかもしれない。

他人は他人なのでやっぱり何かしらイライラしたり、足りないところが目についたりして、その度に「この人と今後もいるのか…」と考えるとちょっとひるむ。

けれど、イライラするとか足りないところが目につくというのはその瞬間瞬間のことであって、つぎの一緒にはどう映っているかは分からない。先の自分にどう見えるかを無理やり先読みしようとしても仕方がなくて、とりあえず今はイライラしている、目についているということを感じることしかできないし、それを取り扱うしかないという感じがする。

10月22日

気づいたら2ヶ月くらいブログを更新していなかった。この間に色々なことがあって、1つ年をとって30歳になったりいろいろと列挙しようかと思ったけどちょっとためらっている。たぶん大きいのはいわゆる恋人という人ができたからで、こういうことをこのブログに書こうと思っていなかったからだと思う。

いわゆる、と書いたのは付き合うとか恋人同士になるというのはどういうことか、ということが自分でもよくわかっていないからで、けれどそういう関係性の人ができたことで時間の使い方がだいぶ変わった感じがしている。前までは予定がそうそう埋まることはなかったし、基本的に一人で大抵のことをやって、たまに友人と会ったりイベントに行ったりするくらいの感じだった。それが恋人と予定を合わせるようになったし、食事に行く回数も増えたし、自分一人だと行かなかっただろうなという場所に行ったりする。こういうことって、やっぱりちょっと時間を置いたり客観視できるようにならないと書けない。今なんとなく、ふと思い立って書こうという感じになった。

今日は台風で、一日家にいるぞと意気込んでいた。なので昨日のうちに食料品とかの買い物は済ませておいて、今日は午前中に投票に行ったついでにスーパーに寄った以外は外に出ていない。読もうとして読めていない本が何冊かあって、だらだらと過ごしながらそのうちの一冊を読んでいた。

Coyote No.60 SAUNA for Beginners

Coyote No.60 SAUNA for Beginners

 

Coyoteのサウナ特集の回。

もう何年も特にライブの予定とかがなければ旅行に行こうという動機もなかったし、ましてや海外に行こうなんてほとんど考えなかったのだけど、一気にフィンランドに行きたくなってしまった。街のいたるところにサウナがあるなんて至高だ。航空券、調べたら片道10万くらいらしい。もちろん気軽に手が出る金額ではないけど、いっぺん行ってみたい。

特にやりたいことが強くあるタイプではないのだけど、サウナは日常の延長の半非日常という感じがして好きだ。ライブとかだと完全に非日常に身を投じる感じがあるのだけど、銭湯とかサウナはあくまで生活としての「入浴」の拡大版だし、けれどちょっといつもと違う気分になれるからいい。

長崎の古い温泉街に移住した友人から「そんなに好きならこっちでサウナやればいいのに」と言われた。彼は最近若手が移住して盛り上がっているその土地に僕を連れて来たいようで、会うたびに勧められるのだけど、そういう移住というのはたぶん自分なりの武器というか、特殊能力があって成立するんじゃないかと思っている。カフェをやるつもりだとか、デザイナーをやっているだとか、何かしらの小商い的な実績や志向がないと難しいんではないかと思っている。

サウナだったらやってみたいな、という漠然とした気持ちと、Coyoteに載っていた移動式サウナとかテントサウナが素敵すぎてできるんちゃうかという気持ちになって一人で静かに盛り上がってしまった。けれどまあ、こういう話はそういうおっきなイメージを持っても僕の場合はどうにもならないので、日々粛々と気が向いたときに近所の銭湯に出かけることしかできないなと思う。とりあえず夕飯でもつくって、選挙速報でもだらだら見ながら酒でも飲もうかなと思う。

8月20日

夏休みが終わる。

うちの職場は夏休みがちょっと長めで、休みに入る前「長いと思ってても終わることには短いと思ってるんだろう」みたいなことをぼやいていたらその通りになってしまった。珍しく職場の人と飲みに行って女性の飲み会テンションに合わせて(自分以外全員女性)話をしてみたり、友人となにかものを書くという合宿をやって詩を書いてみたり、墓参りに行った帰りに実家に寄ってシン・ゴジラのブルーレイをみたり、親戚の家でカレーをつくったり、CD借りたり花火を見に行ったりしていた。

今日も本当は出かける予定だったのだけれど、出発30分前くらいになって急に汗が出てきて動悸もしてきたので熱中症ぽいと思って寝ていた。まあ明日から出勤だと思うと、ちょっと今日くらいはゆっくりするのもいいかなと思っている。

この間大文字の送り火をマンションの屋上でぼーっと眺めていたら同じマンションの住人が友達を引き連れてやってきたので、ビールをもらったりお菓子を分けたりしながらちょっと話した。ここに住み始めてからあまりほかの住人の存在というのを感じることがなかったので、ちょっと嬉しかった。

最近はPUNPEEのラップが聞きたくてsoundcloudとかYouTubeでミックスばかり聴いている。ここに入っているいくつかの曲の入ったアルバムを借りてきた。来月末には新譜が出るので楽しみだなーと思う。

 

soundcloud.com

ふだんあまりドラマは見ないのだけど、『過保護のカホコ』は録画しながらちょっとずつ見ている。設定も演出もちょっとコミカル過ぎるし過剰な感じがするけど、そういうものとして見たら楽しいし、なにより高畑充希がかわいい。「あの人を見たいからドラマを見る」みたいな感覚ってこういう感じなんだろうなと思う。

主題歌が星野源なのだけど、Perfumeとの対バンのチケットがことごとく外れる。もう当たる気がしなので凹むのだけど、まあ行けたらラッキーくらいに思っておこうか。ぜったい恋ダンス一緒に踊るだろうし、Perfumeの曲弾き語りとかするんだろうなー。 

めんどくさいけどクリーニングに出していたジャケットを取りに行って、晩ごはんどうしようかな。もうレトルトのカレーでもいいかという気もしてたけど、もうちょっとしたら考えようかな。

7月29日・立誠シネマ・『この世界の片隅に』

今日はいつもよりゆっくり目に起きた。宅急便を受け取って、洗濯をして、朝ごはんを食べて。やらないといけないこと、やりたいことが色々ある。自転車の点検、長野までのチケット購入、サランラップが切れている、人に電話しないといけない、近所のミニシアターが明日で閉館なので見に行きたい。夜は下鴨神社の祭りに友人と行くかもしれない。あとハワイアナスビーサンを買いたい。そんなこんなでやることはたくさんあるけれど、どの順番で何をしよう、全部できるんだろうか、そんなことを思いながらそうめんを食べる。

とりあえず電話の用事を済ませて、元・立誠小学校の「立誠シネマ」に向かう。廃校になった小学校の一部を改装したミニシアターで、何度か足を運んだのだけれどこの夏で閉館になる。ここでは『ある精肉店のはなし』『青春100キロ』『ハッピーアワー』『この世界の片隅に』あたりを見た。僕は特別映画ファンというわけでもなくて、けど映画を見る前、見終わったあとにこの雰囲気のある校舎を潜り抜けるのがなんだか好きだった。

risseicinema.com

椅子は座椅子だし音響は必ずしもよくないのだけれど、それを補って余りあるくらいの味があった。とはいえ、今日やる映画を実際に見るかどうかは決めていなかった。「せっかく近くに住んでるんだし、最後くらい見ておこうかな」くらいの感じで向かったのだけれど、結局通算2回目の『この世界の片隅に』を見ることにした。

座席は満杯、ほぼほぼ立ち見席のような場所できゅうくつになりながら見た。やっぱり、のんの声がいい。理由がわからないけど、「うちはぼーっとしとるけえ」の一言でなんだか泣けてしまう。『あまちゃん』ファンだったことを差し引いても、どうしようもなく切ない感じの気持ちになるのはなんなのだろう。誰か解明してほしい。


映画『この世界の片隅に』予告編

映画の感想とか、書こうと思ったけれどなんだか面倒な気がしている。これはきっと酒を飲んでいるからかもしれない。映画を見終わって、ビーサンを探して街を徘徊したけれど目当てのものはなくて、暑さに耐えかねて帰ってきて、道すがら買ってきたハッシュドポテトをつまみながら金麦を飲んでいる。ハッシュドポテトを買ったスーパーで買えば数十円安かったであろう金麦、スーパーを過ぎてから飲みたいと思い立ったのでコンビニで買った。スーパーで買えばよかったものを、と思うけれどビール(的飲料)は飲みたいときに買うに限る。数十円を笑う者は数十円に泣くのかもしれない。けれど今飲みたいから買う。それがベストだ。

『この世界の〜』を見ていてうわーと思うのは、「モガ」の描写だ。なぜか戦前というと貧しくてモノクロのイメージがつきまとうけど、映画で描かれている戦前の風景の一部はもっとカラフルで華やかで、おしゃれして喫茶店に行ったりして、今と大して変わらないんじゃないかと思ったりする。平成の時代から過去を見るとあの頃は「戦前」に区分されてしまうのだけれど当時の「モガ」からしたら自分たちは「戦前」に生きているなんて思ってもいないわけで、僕たちが勝手に時代に名前をつけただけのことだ。

そう思うと、今こうやって部屋でクーラーをつけて金麦片手にノートPCでブログを書きながらSpotifyコトリンゴを聴いている風景だって、数十年後の人間からしたらイメージもしにくいのかもしれない。未来人が僕らをどんな時代の人間と見なすかはわからないけれど、今こうして過ごしていることは、今しか起こっていないことなのであって、だからこうしたなんでもないことを書いておきたくなるなあと思う。

Twitterをのぞけばフジロックが楽しそうだなとか、Facebookをのぞけばやれ誰が結婚したとか、LINEではあの子から返事がこないなとか、テレビにつないだHDDにはドキュメント24hが溜まっているなとか、そういうことを考えながら今日も生きている。明日は、この間買ったアロハを洗濯したから着ようかなーと思う。

7月26日

今日は休みだった。疲れていたので昼前まで寝て、シャワーを浴びて洗濯をして、散らかっていた部屋を少し片付けた。平日のうちに銀行に行って通帳の繰越をしないといけないと思っていたので、部屋を出る。

道すがら、すき家に寄ってうなぎ丼を食べる。数日前から無性にうなぎが食べたかった。倫理的にどうなのかな、ちゃんとしたうなぎ店で食べたほうが美味いだろうし、人を誘って食べに行けば絶対いいよなとか思っていたけれど、ちょうど今日は昼食を作る気が起きなくて、家を出る前から「うなぎだ」という気分だった。もちろんちゃんとしたうなぎ店に行けばいいのだろうけれど財布事情の問題もあるので、牛丼屋にする。学生の頃の自分なら、やめておくべきかな…みたいな気分が勝った気がするけど、食べたいものは食べたい。美味かった。

再来週、長野に行くことが決まった。友人が働いていて、遊びに行くことになった。自分にしては珍しくアウトドア的なイベントなので、サンダルがいるよなあ、けどあんまり高いのを買ってもなあ、いやまたフェスに行くことがあれば履けるよなあ、などと考えながらいくつかの店を出入りした。あと夏場にかぶれる帽子もほしいなあと思っていたけど、いまひとつ気持ちが固まり切らず、結局なにも買わずに街を歩く。

そうしてぶらぶらしていて、今日初めて入った古着屋でアロハシャツを衝動買いしてしまった。普段、アロハシャツはどぎつい感じの柄が似合わないと思って着たことがなかったのだけど、一目惚れしてしまった。店員さんから「ビンテージものとか好きなんすか」と聞かれて、なんかうまくやりとりできなかった。なんというか、自分の好みが言語化できていない。ブランドに詳しいとか、コレクター的に収集しているとか、ビンテージが特別好きとか、そういうわけではないし、普通にユニクロとかセレクトショップの服も着るけど、たまたま気に入った一点ものの服とかを見つけると嬉しくなるし、ちょっとクラシックな雰囲気の出る服とかは好き、というのは今だから言える。あの試着室ですらすら言えたらよかったのになあ、と思う。

服、理由や条件をつけて探したりしている時って、「めちゃめちゃ気に入ったもの」とかには出会いにくい気がする。長く気に入って着ている服って、たまたま店で見つけてすごく気に入ってしまって、値段を見てちょっと躊躇して、けど欲しいから若干の背徳感とともに買ってしまったもの、とかが多い気がする。気温差とか天候の変化から身を守るために服を選ぶ時はもちろん条件も大事で、そういう場合はできるだけ条件をハッキリさせておいて、最低限その条件に該当するものを予算内で選べばよいのだと思う。見るたびに嬉しくなるようなお気に入りは、たまたま出会えてラッキーくらいのもので、だから服を見るのは楽しいなと思う。

 

7月23日

最近暑すぎて自炊する気が起こらない。ただでさえ自転車漕いで帰ってきて汗だくなのに、さらに火を起こして熱のあるものを作って食べようという気が起こらない。という話を前も書いた気がする。もうちょっと風通しが良くて広いキッチンだと違うのだろうか。もし引っ越すとしたら次はキッチンに窓があってほしい。

今日は『夜明け告げるルーのうた』を観てきた。電車で1時間くらいかかる所でしか今は上映してなくて、ちょっと迷ったけれど観に行くことにした。やっぱり湯浅監督の魅力はなんというかあの空間がぐにゃーっと歪んだ感じのエモーショナルな表現だなーと思う。だから日常生活の描写の仕方とかはなんかなーと思う部分も多いのだけど、やっぱりラスト近くの熱量と勢いは圧巻で、泣けてしまった。

というか最近涙もろい。午前中は用事があって実家にいたのだけど、たまたまテレビでやっていた劇場版のアンパンマンを観てちょっとうるっときてしまった。途中から見たのだけれど筋書きもちゃんとしていて、核になるキャラクターの描写もとても丁寧で、大きな敵と戦って勝つその方法にもちゃんと筋が通っている感じがしてすごく良かった。子どもがほしいと思うことは少ないのだけど、こういう作品を子どもと一緒に観て過ごせたら幸せなんだろうなーとか想像する。最近こーいう子どもの頃に見て今も続いているアニメを見るが楽しいなーと思う。

『ルーのうた』を観終わって、特に用事もなくてなんとなくコメダコーヒーに入ってこれを書いている。さっき通ってきた街があまりにも若者向けすぎて疲れた。自分の住んでいるエリアよりもこう、若い人がオシャレだし経済が動いてるなーって感じがする。せっかく街に出てきたし何かしようかなという気持ちと、どーせいきたい場所もないからさっさと帰ろうかなという気持ちと、帰ったところでまた日常に戻るだけだしもーちょい保留にしとこう、という感じでコメダにいる。

明日からまた仕事だなあ。火曜日は花火を見に行く予定で水曜は休みにした。日常と非日常と、繰り返しながらなんとか生きながらえている。人生、どーにでもなるわという気待ちと、このままではやばいのではという気持ちも交互にやってくる。今は前者が強いかなーと思う。今日はこれからどうしようかな。

KICK THE CAN CREW「千%」

気持ちが入りすぎて書けない。けど書きたいので書く。

もう、なんというかこれ以上ない形で帰ってきてくれたのだと思う。

何が嬉しかったって、KICKはおろか普段ラップとかを聞かない友人が「あの曲いいね」と言ってくれたことだ。昔のバンドが過去のヒット曲だけを再演するみたいな、ファンだけが喜ぶそういう懐古主義的な復活ではなく、KICKのカッコ良さをこれでもかという位アップデートした形で戻ってきてくれたことが本当に嬉しい。

公式サイトに3人のインタビューが掲載された。特に、下に引用したKREVAのインタビューを見て、ああKICKの魅力はこういうところにあるし、今回はそれを本当にいい形で煮詰めて形にしてくれたんだと思う。

――新曲の「千%」も、そういうものが詰まっていると思います。
「うん。例えばこの曲の《経て からの ここ》って、俺から出てきたんですけど、それは1人だったら、思いついていても歌わなかったでしょうね。この3人だとそういうのにOKを出せる感じが強いんですよ。ふざけ合って面白がれるっていうのは、大きいのかなっていう気がします。あと、それプラス真剣になれるっていうかね」

(「 KICK!」スペシャルサイト/KREVAインタビュー)

www.jvcmusic.co.jp

KREVAのソロに『挑め』という曲があって、このRemixにLITTLE、MCUがfeat.として参加したことがあった。当時の僕は久しぶりに3人の声が入った曲を聞けるとあって「実質KICKの新曲では」なんて思っていたけど、実際聞いてみるとなんか違った。当時この「なんか」は言語化できなかったのだけど、このKREVAのインタビューが端的に物語っている気がする。「3人だとOKを出せる感じ」「ふざけ合って面白がれる、プラス真剣になれる」。 「挑め」にそういう感じはなかったように思う。

やっぱりどこまで行っても『挑め Remix』の2人はKREVAの曲のfeat.アーティストに過ぎなくて、KREVAの構築した世界観の上に乗っかった2人という感じがする。MCUとLITTLEは「UL」というユニット名でアルバムを出したりフェスにも出ていたりしたけど、やっぱりこっちもピンと来なかった。いくら2人がKREVAのループの上でラップしたとしても、それはやっぱり「KREVAのトラックの上でラップしているMCUとLITTLE」という感じがどうしても拭えない。いや、この3人が交差して何か新しいものができたというだけでも当然嬉しいのだけれど、 けれどやっぱりKICKとは別ものだった。

昔、テレビか何かでKICKの曲の作り方の流れが紹介されていたのを見たことがある。まず KREVAがトラックをつくり、曲の「テーマ」を決めて、そのテーマに基づいて3人がそれぞれにバースを書いてくるという方式を取っていたらしい(全曲が該当するかは分からない)。ちなみに『イツナロウバ』のテーマは「夏と言わない」。実際、楽曲中には「クロール」「涙で濡れるグローブ」「焚火の中」「生ぬるい風が運ぶパンチラ」などの夏を連想されるワードが次々に出てくるけれど「夏」は一度も出てこない。

『挑め』の場合、テーマは「3と言わない」だった。これはこれで言葉遊びとしては面白くて、三者三様の「3と言わなさ」みたいなのが楽しかった覚えがある。けれどやっぱりテーマの強度みたいなものが弱くて「なぜこのタイミングで、この3人がこのテーマでラップをするのか」という問いの前に、言葉遊びの楽しさが霞んでしまう感じがあった気がする。

――新曲は「千%」が既に公開されていますが、制作の初期段階で出来た曲ですよね?
「はい。“十数年経って、お互いにどういうことが変わったか?”ということとかを話した時期に作ったのがこの曲です」

(「 KICK!」スペシャルサイト/LITTLEインタビュー)

 今、2017年というこのタイミングでテーマになったのは「十数年経って、お互いにどういうことが変わったか?」だった。KICKをもう一度始めるにあたってこれ以上のテーマはないし、リスナーとしてはここさえクリアできれば、ここをクリアするからこそ、言葉遊びも3人のマイクリレーも、心の底から楽しめる感じがする。

というのも、KICKが活動休止する前後に囁かれていた「 3人の不仲説」みたいなことがどうしても尾を引いていた感じがするからだ。活動休止後はKREVAだけ売れて…みたいな話が聞こえたこともあったし、2008年のROCK IN JAPANのKREVAステージにMCUとLITTLEがサプライズ出演した時も、2人は本人が言う通りまさに「世界で俺だけしか呼べないゲスト」だった。ちょっと意地悪な見方をすれば「KREVAがいなければ実現しなかったコラボ」とも言える。内情は詳しく分からないけれど、当時は「まあ3人の間にも色々あるだろうな」と思わずにはいられない感じだった。

だからこそ今回は「Triangle」になっている感じがして痺れてしまう。インタビューから3人の今の関係性、ちょっと飄々としたスタンス、でも今がやる時だと一致した感じ、こういうのが伝わってきて嬉しかった。

――ついに完全復活ですね。
「はい。数年前からキックでステージに立つようになったけど、いざ一緒にやってみると、いろんな感触を得られました。1人1人大きくなったし、考えも丸くなったかな。でも、丸くなったけど、尖ったままでお互いに尊重し合える感じなんですよね。昔からそういう3人なんだけど、さらにそうなってると思います。“完全復活”で“完全信用”できるようになったというか」(MCU

――3人で新しい曲を作るにあたって、どんなことを考えました?
「「カンケリ」とか「タカオニ」を作った最初の頃って、誰に集まれって言われたわけじゃないけど、3人で集まってやってたじゃないですか。そういうスタイルを見つめ直した感じですかね。あと、この3人で作ったものの“声”みたいなのがあるなと思ってるんです。今回、そこに真面目に向かって行きました」(KREVA

――休止に入ったのは2004年6月ですけど、キックはちょくちょく動いていましたよね。
「復活っていうことだと、2014年のROCK IN JAPAN FES. ということなんですかね? 3人の気持ちや見ているものが自然と一致しないとダメなんですよ。個々の都合や、会社の都合とかではなかなか始まらないのがキックなんです」(LITTLE)

もう書きたいことは山ほどあって、LITTLE肥えたしMCで喋るようになっちゃったなーとかでも相変わらず執拗なまでに畳み掛けるライミングは健在だなーとか、MCUは渋い声そのままにラップが確実に上手くなってるよなーとか、KREVAは個人的に「淀みない 歩き出し」のフロウが最高に好きとか、あと「来年は30です」とか言ってた人たちが40を越えて自分が30になろうとしているとか、ちょっと委細に入りすぎるのでこのあたりにします。

「復活祭」は行けなさそうだけど、全国ツアーやると聞いて今から楽しみです。あとアルバムも。