jibun09の日記

長々とした日記を書いています

けっこう自分の名前は本名で検索されている

僕はブログがもうひとつあって、そっちは以前本名を冠して開設したものだ。2年くらい前から書き始めて、最近はほとんど更新しなくなっていた。

最初そのブログを開設した頃は4年間勤めた仕事を辞めた直後で、本名で書いてなんぼや、みたいな気概もあってどんどん書いた。その時期に出会った友だちもブログを読んでくれて、ぼくも友だちのブログを読んで感想を言い合ったりして、楽しかった。

その後、新しい仕事に就いてから、一気に本名で検索してブログに来る人が増えた。時期的にどう考えても職場で出会った人が本名で検索したのだと思う。理由はよくわからないけど、けっこう皆やっているのだろう。昔好きだった人の名前をググったことくらいは僕もある。

以前は誰に読まれていようと今見えているものを書いてそれで勝負するんだくらいの感じがあったのだけれど、この1年でだいぶその感じも変わってしまった。今思うと、書かなくなった原因とまで言えるかはわからないけど、強く影響はされていたんだろうなと思う。

この記事を書いてようやく、このブログが自分の中で位置付いたような気がする。ブログ仲間からは「どんな理由でも読んでくれる人がいるのは羨ましい」と言われたけど、僕にとって本名で検索されて読まれることがどういうことか、ちょっとわかった。

毎日何か書くぞ、みたいな決意があるわけでもないけれど、少しずつ何か書けそうな気がしている。

文章を書くことは重りをつけること

ブログ記事を書いてみて、ちょっと落ち着いた。

自分がいまいる場所がはっきりする。

イメージとしては、ふわふわどこかへ飛んで行こうとする風船の紐に重りをつけるような感じだ。重りがないと空高く昇って行っていろんな景色が見れるけれど、その分いろんな景色が見えすぎて「このままでいいんだろうか」「あそこに行けばもっといい感じになるのでは」みたいな気分になって、不安で落ち着かなくなる。

重りをつけてしまえばその場に留まるしかないので、せいぜい首を動かして見える範囲のものしか目に入ってこない。そこから逆照射するような感じで、自分の位置がはっきりする。いま喫茶店のソファから窓を見ているんだけれど、その気分にも近いのかもしれない。窓の外の景色は動いているけど、自分は座っていて、見えるのは窓枠の中の景色だけだ。外を人が歩いていようが車が走っていようが、僕は座ってブログを書いている。

これを通してわかる「自分の位置」というのはうんざりするような、失望するような場所かもしれないけど、そういう時ほど書くことは有効なような気がする。

どうあがいたってどれだけ空想したって今いる場所は変わらないので、それが確認できるだけでも、ずいぶん落ち着く。

仕事を週4日勤務に変えてみたけどなんか違った

とりあえず何か書き出してみることにした。

最近なんだか気分が晴れない。昨日深夜に友達から電話がかってきて「元気?」と聞かれたんだけれど「元気は元気だけどあんまりぱっとしない」と答えた。元気かどうかは微妙なところだけど、まさにそんな感じだ。ぱっとしない。

4月から仕事を週4勤務にしてみたんだけれど、だからといって劇的に何かが変わったという感じもしない。週4にしたらいろいろできるな、と事前に考えていただけにギャップが生まれて自分を苦しめている感じがする。「いろいろ」というのは、本を読んだりブログを書いたり、そういうイメージだった。むしろ同僚より勤務日数が少ないことで中途半端な感じがして居心地がよくない。

今の仕事を始める前、だいたい2年くらい前に出会った友達と本を読む集まりをしていて今も継続しているんだけれど、それもなんだか以前より楽しい感じがしない。いや、楽しい楽しくないというよりはちょっと距離ができた感じだ。前はもっと自分の中心に近いところにあった。これも同じで、「前はあんなに自分に近いところにあったのに」みたいな感じで、「こんなはずじゃない」みたいなギャップが苦しい。

一人暮らしを始めたのも、週4勤務にすると親がいろいろ言うんじゃないかとか、そういう気分からスタートした感じがある。週4勤務にして、一人暮らししたら誰にも何も言われない自分の時間が確保できて、自分のペースでいろいろできるだろうみたいな妄想が僕の中にはあった。

けれどそういうことではなかったのかもしれない。

じゃあどういうことなのか、ということを書きたい気がしたけれどうまく言葉にならない。とりあえず今、「あーなんか違ったなー」という感じがしている。

「学生街」の居心地が悪い

昔、「学生街」というものにあこがれていた。

ぼくが通っていた大学はニュータウンのはずれにあって最寄駅からもバスで20分くらいかかるような場所で、いわゆる学生街というのとはほど遠かった。外食のできる店やコンビニはバスか原付でないと行けない距離にあって、近くにあったのは高校とファミリー向けのマンションと池と田んぼだった。だから歩いて行ける距離に飲み屋があって、値段の割にアホほど量の多い定食屋があって…みたいな、いわゆる「学生街」で過ごしてみたいなという願望を持っていた時期がある。

いまぼくが住んでいるのは、いわゆる「学生街」だ。

大学(ぼくが通っていたのとは違う)から歩いて数分の場所に住んでいるから、近所のスーパーに行っても交差点に行っても学生ばかりとすれ違う。いや、厳密にいうと学生かどうかは確かめてみないとわからないのだけれど、近所を歩いたり自転車をこいでいる人のほとんどが、若めの風貌なので十中八九学生だ。

昨日人と話していて気がついたのだけれど、この居心地の悪さは「自分の場所ではない感」だ。

ふつうは、たとえば電車に乗り合わせた人の属性なんてものはわからない。ぱっと見でわかるのは、若いきれいな女の人だなとか、おしゃれなスーツのおじさんだなとかいうことくらいだ。手提げカバンからはみ出していた教科書がたまたま目に入ったり、スーツ同士の会話が聞こえてきて、ああ学生かとかこの人たちは上司と部下かということがわかる。その場所にいる人がどこの誰で、ということが分かりようもないから自分も「不特定多数の人」としていることができる。

この街ではそうはいかなくて、すれ違う人みんなが大学生で、しかも立地的にはどこの大学の人かも明らかにわかる。歩いているだけで周りの人の属性が飛び込んでくるから、否が応でも自分が「大学生でない人」という場所にいることが意識させられて、「不特定多数の中にいる」という感じが持てない。なので少し歩いて駅前に行くと、観光目的に見える外国人とかスーツ姿のおじさんとかがいて、なんだか安心する。

よく考えると大学生の頃は近所に居酒屋が遠かろうが定食屋がなかろうが、原付で移動して友達の家で飲んでいたし、あんまり関係なかった。世間的には郊外のニュータウンでしかないのだけれど、ぼくにとってはあそこが学生街だったのだなと思う。

ブログを開設してしまった。

ブログを開設してしまった。

 

ぼくはもう一つブログを持っていて、数年前に本名で書き始めたものだ。ここ数ヶ月は更新あまりをしていなくて、匿名で何か書ける場所があればいいなとずっと思っていた。

 

どうして今日開設しようと思ったのかは説明しようと思えばできる気がするけれど、なんだか説明しきれないような気がしているので、とりあえず開設してしまったということだけ書いておこうと思う。