jibun09の日記

長々とした日記を書いています

1月8日

今日は久々に自分ひとりの時間をちゃんと持てた気がする。

昨日の時点で今日は雨の予報で、だから出かけるなら日曜日のうちだと思っていた。けれどいざ今日目が覚めてみると、おととい買ったばかりのコートを着て、年末に買ったレインブーツを履いて歩きたいという気持ちになって、結局外出した。「雨だから出かけたい」と思うなんて思ってもみなかった。

本屋に向かって本を2冊買った。ECDじゃなかった、その妻の植本一子の『降伏の記録』それから松尾スズキの『東京の夫婦』。買ったばかりの本を読みたくて近くのカフェに入ってお昼を食べて、さらにもう1件カフェをはしごして本を読んだり考え事をしたりしていた。

カフェでTwitterを見ていたら宇多丸氏がパーソナリティの「今日は1日ラップ三昧」というラジオがやっているのを知って、近所の銭湯に入って酒屋でウイスキーを買って帰ってラジオをつける。早めの夕食をつくって食べて、21時からはPUNPEEのラジオを聴いていたらもうこんな時間だ。

いろいろなことを考えては、流れていった。でもやっぱり、ちゃんと落ち着いて自分の時間を持とうと思うとまる二日くらい要るんだなと思う。「年が明けてから考えたらいいか」と思っていた、とある求人の申し込み締め切りが思いのほか早いことがさっきわかって、急に仕事のことを考えるモードになった。

夫婦のことを書いたエッセイを読みたい。みんなどんなことを考えてパートナーと一緒になったり別れたりしているのだろう。『東京の夫婦』にはそのあたりがおもしろおかしく綴られていてもう半分くらい読んでしまった。

正月に実家に帰ったら母親から仕事のことで少し小言を言われた。いや、小言と言ってしまうと親に申し訳ない気がするのだけど、感情的になってしまって落ち着いて返せなかった。昔からうちの親は息子の進路に対してあれこれ口出しせず好きにやらせてくれるほうだったと思っていたけど、よく考えてみたら、わりと重要な局面で息子への期待や願いが垣間見えていた。大学は4年間で卒業するものだ、卒業したら就職するものだ、正社員の仕事に就いてほしい。そんなことを、銭湯の湯船に浸かりながら、目の前を横切る老人の太ももを見ながら思った。

親や周囲の期待に応えようとする子どもだった。先生の期待することはなんとなく察することができたし、それを実現することはそう難しくなかった。中学時代の部活に熱中していた原動力は、競技への関心というよりは顧問に認められた嬉しさや小さいコミュニティの中で少し抜きん出る優越感だったような気がする。

どうしてもそうしてしまう自分と、そういう自分を忌避する感覚が同居している。だから大学卒業直前は「就活」の波にすんなり乗れなかったし、半ばそういう価値観に反発する形で自分の進む方向を探していたように思う。

大晦日、友人の家に遊びに来ていた人が占いに傾倒していて「今年は【統合】の年になると思う」と言われた。これまで他者との関係でもやもやとしていた事柄が統合されるとかどうとか。日本酒をしこたま飲んでいたので細かく覚えていないけれど。

とりあえず、明日は仕事始めなので少し早めに出勤しようかなと思う。

12月31日

色々書きかけてたけど消してしまった。ええと、とりあえず今さっきフリースタイルダンジョンのモンスターズウォーをようやく見て疲れて、夜は久々に会う友人の家に行く予定なのだけど時間が決まっていなくて予報は雨で、まだなんとなく家を出たくないけれど小腹が空いたのでからあげクンを買ってきて今食べたところ。マヨネーズかけるとうまい。

今年はなんだか本当に早かったなあと思う。何をしてたっけ。仕事を一時期週4日にしていたのを今年度から週5日に戻して、なんだかんだ仕事環境が変わったりしたことでちょっと仕事に対する比重が大きくなった1年だったなあと思う。あとはプライベートでも色々とあったのだけれど、そういう意味では変化が大きかった1年だったような気もする。

そういえば30歳になった。からといってなにか感慨深いものがあるということでもなく、相変わらずだ。恋愛とか結婚にしても、仕事をするにしても、なんか煮え切らないというか、ぼんやりしているような感じがある。いや、仕事についてはある程度はっきりしてきたかな。とりあえず今の仕事を続けられるように働きかけたり環境をつくったりしていけばいいかなと思っていて、その先はわからんよねという感じ。唐突に別業種に変わってみたらどうなるだろうみたいな想像はしたりするのだけど、この間試しに転職エージェントに相談してみたらすぐに紹介できる求人はないみたいな感触で、まあそうだよなとなんか腑に落ちた。

恋愛については未だによくわからない。今付き合っている人とは一緒にいて楽しかったり普通でいられるのだけど、結婚とかそういう話になるともうよくわからなくなる。相手にもそういう感じが伝えられていたら、フェアな感じでやりとりできるのだろうと思うのだけど。

けどまあ仕事も同じかなと思う。仕事の方は、自分の気持ちと周囲からの期待のかけられ方にズレが出た時が一番しんどいと思っていたから、あらかじめ自分の考えを周囲に伝えていたし、それによって自分の立ち位置をなんとか確保できていたような気がする。基本はその位置にいて、自分がもう少しやりたいと思えたらやればいいし、引きたいと思ったら引けばいい。放っておくと色々やらないとと思い込んでしまう自分のような人間にとっては、最初にそういう線引きをしておくことで、納得いって振る舞えるんじゃないかと思っている。

だから恋愛も同じで、早い段階で自分の考え、つまり「恋愛の先に結婚があるということにあまりピンときていない」「結婚というものがよくわからない」「あなたと過ごすことは楽しいが、結婚が前提になると身動きが取れなくなる」というようなことを伝えないといけない、いやいけないことはないのだけれど、伝えないとこの先どんどんやりづらくなっていくような気がする。ネガティブな意味でどうなるかわからなくなる。

けど一般的にはこういうことってわざわざ言わないのだろうなとも思う。こんなこと言ったら彼女がかわいそうだとか、そういう批判があるのは想像に難くない。あまり支持されないだろうなと思うけど。

来年はどうしようかな。とりあえず、仕事でちょっとチャレンジしたいことも出てきたりしたから無理のない範囲でそういうこともやって、プライベートなことでもあまり小さく縮こまらないようにしたいなーとかそういうことをぼんやりと思っている。

みなさま、よいお年を。

12月24日

恋愛がわからない。相手が自分に好意を向けているということがわかると、嬉しいと同時になぜだか急激に冷めるという感じが同時にやってくる。これ一体どういうことなんだろうか。相手によるんだろうか。以前付き合っていた人もそういう感じがあって、「僕は相手のこと好きじゃないんじゃないか」という思考が働いて結局別れてしまった。

1人の人と添い遂げるなんてよっぽどのことじゃないだろうか。前に友人がTwitterで「今の彼氏は違和感を感じる瞬間がゼロ」という意味のことを言っていて、そんなこと有り得るのかと思った。ものすごく平たく言うと「ちゃんと話し合える人」という意味らしい。また別の友人は同じように、「今の旦那は違和感ゼロ」な感じがあるらしく、これまたすごいなと思う。そういう人と出会えると展開が早い、つまり結婚まで割とすぐだったらしい。

一緒にPerfumeのライブDVDを見て楽しめるとか、金銭感覚が同じくらいだとか、一緒に美味しいものを食べて喜び合えるとか、そういうことで十分な気もするけど、どうなんだろうか。やっぱり積み上げ式で行かないと無理だ。つまり結婚できるかどうか、みたいな基準で今の関係性をなにか評価しようとした瞬間に楽しくなくなったり、「冷める」感じが強く出る。向こうもそういう感覚をわかってくれればいいのだけれど、きっと結婚とかは意識しているだろうし、難しいのかもなと思う。

明日は出張で遠出をする。重たい任務があるので憂鬱な日曜の夜だけれど仕方がない。あと数日仕事をしたらもう年末で、早いなあと思う。

12月15日

最近仕事しすぎだ。

これまで、やらなくていい仕事を無理にやったりはしてこなかったし、必要とされることを粛々とやって必要とされなくなったらそれまでだと思っていた。

けれどそれを超えて仕事をする人とかがいて、最近は自分もそれに引っ張られている。どう考えても上司が考えるべきことに首を突っ込んでいるし、今の給料に見合わないことを自らわざわざやっている感じすらある。

けれど中途半端に自分から働きかけてしまったりしたので後に引けないと思っている節があって、別に今引いてもよいのだけれどそうはしにくい。

お世話になった人が関わっているからとか、そーいう要素を投影してしまっている。前はそういうことと仕事は切り離していたのだけれど。

疲れたなー。心の不調は体に出る、というのをAV男優の森下さんがとあるサイトの読者相談で言っていた。昨日から風邪気味で、とりあえず葛根湯を買って帰ったのだけど葛根湯は寒気が出て30分で飲む薬だというのをTwitterで見てしまった。逆プラシーポがかかりそうで辛い。

年末までけっこう仕事が立て込んでいて、ストレスの多い時間が続きそうなんだよな。なんだかなーーーとか思っていたら今年が終わりそうだ。

とりあえず、もうちょっと適当にやろう。別に死なないしなんとでもなる。

12月9日

酔っている時は日記とか書かないほうがいい。そう思うのだけれど、なんか書きたいなと思っているので書く。

今日は午前中に洗濯と掃除を済ませて、友人の結婚祝いの準備をして、間違えて踏んづけてひん曲がってしまった眼鏡を直して、残り物のカレーでカレーうどんをして、近所の銭湯に入ってから大阪にでてきて友人と飲んでいた。

友人はこの秋に再婚した。彼は数年付き合った末に結婚した相手と結婚後数ヶ月で離婚して、めでたく次のパートナーを見つけて、このあいだ僕も結婚式に行ってきた。最初の奥さんとの結婚までのいきさつ、別れるまでの流れとか、気になってたことをあれこれ根掘り葉掘りして、自分の近況も話したりして、いい気分で電車に乗って帰った。最寄駅は終点なのだけど、爆睡していて到着に気づかず、車掌さんに起こされてしまった。千鳥足で帰ってきて、冬の冷気に完全に冷え切って湿気を含んでしまった洗濯物を取り込んで、白湯を飲みながらこれを書いている。

この間、給与の交渉をしてみようと思うという趣旨の日記を書いたのだけれど、その後面談でその意向を伝えて今は結果待ちだ。どうなるかはわからないし、まあ様子を見てみようと思う。

なんか数日前に日記に書こうと思っていたことがあったような気がするのだけれど、もう忘れてしまった。なんだか最近日が経つのが早い。もう気づけば年末で、1ヶ月後は平成30年で、あと数ヶ月したら年度が変わって、何年か先には平成が終わっている。元号なんて呼び方だけだという気もするけれど、やっぱり大きいことだよなと思う。ぎりぎり昭和生まれで、平成に変わった時のことはよく覚えていないから、物心ついて以降は初めて元号が変わることになる。平成の次はなんなんだろう。林先生はテレビで「Rが来ると思う」とか言ってたけど、どうなんだろうか。そして数十年たったらその元号にも慣れて、「平成」という響きも古臭く感じられたりする時期も来るんだろうか。「昭和レトロ」みたいなニュアンスで「平成レトロ」とか言われたりするんだろうか。その頃にも、無理なくある程度楽しくやっていれたらいいなと思う。

12月4日

僕は月収が低い。

具体的にいくらかとかは書かないけど、年齢とかからするとずいぶん低いほうだと思う。それでも前職から比べると上がったほうで、今の仕事につく時はこんなにもらえるのかと驚いた。この給与額で2年と少しやってきたわけだけれど、給与交渉したら上がるんだろうかみたいな気持ちが最近出てきて、次の面談の機会には交渉しようと思っていた。

この間とある用件で職場の同僚の人と話す機会があって、その人とはわりとフランクに話せる感じだったし話の流れ上給与額の話になったのだけれど、さすがにそれは買い叩かれすぎだと驚かれてしまった。僕は確かに今の給与に満足しているわけではないし、今年の面談では上がるよう交渉しようと思っていた。けれど他の人に「さすがにその額では…」みたいな言われ方をするとなんか惨めな気持ちになる。そこまでお金は貯まらないけれどとりあえず問題なく暮らせていて、まあ欲を言えば上がったらいいな、いやこの水準の仕事求められるならもっと上げてもらわないとな、という感じだったのが急になんだか「僕は貧しいのか…」みたいな気分になる。

「お金はあればあるほどいい」というのはつまり、「あってもあってもきりがない」とも言える。最近Twitterとかで年収云百万以上の人は税金が高くなる云々といった話題が流れてきていたけれど、自分にはまあ程遠い話だなと思った。とりあえず、「お金は百万までは稼げば稼ぐほどよいが、それ以上は稼いでも変わらない」と言えるんだろうか。

ちょっと前はお金で測れないもの、貨幣経済の外にあるものごとの価値にすごく惹かれていた気がする。けどその時期は実家暮らしで生活費を一銭も入れていなくて、奨学金の返済も残っていて前職時代に貯めたお金でライブとか行きまくっていた。めちゃめちゃお金必要だったし使ってんじゃん、と昔の自分に突っ込みたくなる。

このあいだphaさんが出てた「ニッポンのジレンマ」で「コミュニティが職場だけに偏るときつい」という話があって、これは本当にそうだなと思った。僕は前職、なんかプライベートもひっくるめてほとんど仕事に投入していた感じがあってバランスを崩した。なのでそこを辞めてからはその反動で色々な人と知り合ったし、生きて行くうえではお金も稼ぎつつ、そういう労働の現場以外で人とつながったりしていたら、なんとか生きていけるのではないかという気もしている。

給料上がったらいいなあ。上がっても家賃の高い家に引っ越したりするつもりもないし、生活水準をすごく上げたいみたいなことも思わないので、とりあえず貯めたり、ちょっと欲しいものを買えることが増えたりするといいなと思う。

11月17日・大橋裕之×柴田聡子トーク&ミニLIVE

昨日これに行ってきた。

shibatasatoko.com

大橋裕之は前から好きで、そこに柴田聡子の組み合わせなんて行くしかないと思って、仕事を切り上げて大阪に行った。

イベントの様子とかやった曲とかを書こうかと思ったけどどうもだめだ、書いてておもしろくないのでやめた。ライブはとてもよかった。柴田さんがちょっと緊張していたのか何回も間違えたりしていて、やっぱりワンマンの時のホーム感とは違うのかもなあと思った。ワンマンライブだとあの柴田さんのおどおどした感じの挨拶とか、挙動不審な感じをファンは微笑ましく見守るみたいな空気感があったのだけれど、この日はちょっとアウェイ感があったような気もする。でも相変わらず柴田さんの曲はとても良くて、『大作戦』のこのラインとか

スタンドには、応援団いる、野次馬たちいる、好きな人がいる、こわい人がいる 

『ニューポニーテール』のこのラインとか

さんご・ダイヤモンド・パール・プラチナ

リフレインがやっぱりとてもよかった。

トークイベントは司会の方の慣れない感じがけっこう出ていて間延び感があったのだけれど、柴田さんと大橋さんの間で音楽とか漫画とは直接関係ない話題にどんどん展開していく感じが面白かった。大橋さんは通っていた高校最後のモールス信号を習った学年だとか、モールス信号のリスニング試験があったとか。あと学校にはヤンキーとアホしかいなかったらしく、どうりで漫画にヤンキーがあんなに出てくるのかという発見もした。

小さいイベントだろうしなと思って、『大橋裕之の1P』と『愛の休日』とサインペンを持って行ったのでサインしてもらった。サインというのはいつもちょっと躊躇するというか「サインをもらうほどファンじゃないかもしれない…」と急に弱気になったり「知り合いづてとかじゃないとサインとかおこがましいのでは…」とか思って物怖じしてしまう。けれど 大橋さんは快く引き受けてくれて嬉しかった。「なんかリクエストありますか」と聞かれて、似顔絵を描いてほしいと思ったけど遠慮して言えず、『遠浅の部屋』の主人公を描いてもらった。

目の前で白紙のページの上に線が描かれて世界が生まれる過程を見ているようで感動してしまった。で、やっぱり目から描き始めるんだなと思った。あとでTwitter見たら似顔絵らしきものを描いてもらっている人がいて、やっぱり似顔絵をリクエストすればよかった。フェスとかで似顔絵屋さんをやっているようなので、今度は描いてもらいたいなと思う。

 結局イベントの様子を書いたな。あと原画展もよかった。やっぱり原画は作家の息づかいみたいなものが感じられていい。行ってよかったな、という感想でした。